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はくちゃん
ふくちゃん、吐く。
何度も吐く。

ちょうど去年の今頃。
同じような症状になり、獣医さんに
「あと1ヶ月もちませんね…」
と宣告されてから、
ラッキーにも一年の時が経過した。

このままずっと、死なないでいてくれないかなぁ、
なんて、ムシのいいことを考えながら、
ふくちゃんとの1日1日を、自分なりに、
大事に過ごしてきたつもりだ。

生きているものはいつか必ず死ぬ。
それは避けられないこと。

そして、そこには、
喪失の悲しみがつきまとう。
これもまた致し方ないこと。

失う怖さよりも、
共に過ごした時間で貰った幸せを、
わたしはずっと覚えていたい。

喪失によって傷ついた心は、
また何かを得て、
また別のものを失い、
また悲しみ、また得る。
厄介なことに、
人生はそんなことの繰り返しだ。
その仕組みに、ようやく気づいてきた所だ。

そこで、傷つくのが怖くて、新しく得ることを止めてしまうか、
それとも、失った先にも再び光があると信じられるかによって、
生きている時間の鮮度はかなり違ってくる。

傷つくことなんかいっぱいある。
そんなこと、当たり前だ。
それでもわたしは、
新しいものに心を向けずにはいられない。

ふくちゃん、今のところは持ち直して、
ご飯を食べている。

いま、この状態のわたしで、すでに充分すぎるほど、
幸せなんだな、と気づかせてくれる。

何も失っていないわたしのままでは進めない、
ということさえも含めて、
このいまが、最高に幸せなんだな。

ふくちゃんが苦しそうじゃないこと。
両親が生きていてくれること。
兄弟たちが毎日がんばっていること。
そんな彼らを支えてくれる妹たちがいてくれること。
誇りに思える仕事が出来ること。
頼りにしてくれる子供たちがいてくれること。

数えあげたらキリがない。
いまのままで、最高に幸せだったんだな、わたしは。

ふくちゃんの病に、いろいろと教えられた。




| shortcut | 03:32 | comments(0) | - |
ちょっと始動
フクちゃん、ちょっとずつ調子を取り戻している様子。
今朝は、久々に二階上がってきてくれて
「ごはん。ごはん。ごはんたべたい」
と鳴いていました。
食欲あるじゃん!! やったじゃんあんた!!

そして、昨日も今日も吐いてない。
ありがたいことだ。
みるみるうちにやせ細っていた体も、
この2日間吐かなかったことで、
また少しだけふっくらしてきたような気がする。
毛のツヤも少し戻ってきた。
鼻の色もピンクになってきた。

でも、これは束の間のご褒美なんだね。
ずっとこのままなんていられない。
不死身のフクちゃんとわたしだったら
ずっとこのままでも構わないけど、
どっちかが不死身だったら大変困るよね。
いつか来るサヨナラは避けられないことなんだな、と
この数日で痛感している。
避けることの適わぬ日がやって来たらわたしは
思いっきり悲しむことにする。
仕事も3日くらい平気で休んで、
フクちゃんの思い出の写真をいっぱい見て、
バカみたいに泣いて泣いて泣いて泣いて、
そして、泣き疲れたら、フクちゃんと過ごした時間に感謝して
また開きたくなる日が来るまで、アルバムを閉じておく。
それでもまた泣きたくなったら、
またバカみたいに泣いて泣いて泣いて泣いて、
ご飯食べられなかったら無理して食べなくて、
哀しい気持ちとガッツリ付き合って、
這い蹲りながら、自力で立ち上がりたい。

てか、ここにきて、フクちゃんよりもわたしが先に
逝ってしまうんじゃ…と思うような
体調ぐだぐだ事態が発生。
なんだかこのごろわたし自身の体が思うようじゃない。
だがまぁ、
自分自身のことは、自分が受け止めれば済む話なので、
深く考えるのはよそう。

フクちゃん騒動によって、
アニメをまったく見ていなかったことを思い出した。
なので今日、ちょっとガンダムを見てみた。
これはまたのちほどアニメエントリで。





| shortcut | 23:19 | comments(0) | - |
小康状態パート
昨日、途中まで書いて、
いつのまにか眠ってしまった。
気持ちが相当疲れていたらしく、
スイッチが切れたように眠った。
そのせいか、目覚ましもかけていないのに
バチコーンと目が覚めた。
爽快だった。

以下は、昨日途中まで書いたものに、
今日少し付け加えたものであります。



わたし殺すにゃ刃物はいらぬ、フクが3日と寝込みゃいい。

はい。というわけで。

昨日に引き続き、フクちゃん、
小康状態を保っております。
色んな方々にフクちゃんのことを気にかけてもらい、
幸せな猫でありますまったく。
フクちゃんが良くなるように、
みんなが祈ってくれたおかげで、
今こうして小康状態になってくれてるのかな、と思います。
ありがとうございます。
ほんとうに、ありがとうございます。

年末年始にかけて、
駆け足で逝ってしまったあの子への哀しみが
まだ全然癒えていないまんま、
更なる追い討ちをかけられるのか、とビクビクしていた。
猫は急激に弱っていく生き物なのだ、と
思い知らされた。
もともと吐き癖のあるフクちゃんだから、
吐いてるのを見かけても
「あぁ、またか」
とスルーしていたけど、
これからはもう決して見逃せない。
吐くことで、確実に体力を消耗していく。

もう、こうなってくると、一日一日が本当に大事になってくる。
こうなる前に、こんな気持ちで過ごせていたら、
きっと後悔はもっと少ないんだろうけども。
今はただ、一日一日を静かに、穏やかに過ごさせてあげたい。
なるべく吐くことなく、苦しむことなく。
最期の日はどうしても避けようがないんだから、
せめて、せめて、眠るように逝って欲しい。

命について、こんなに考えたことはないほど、
イヤでも考えさせられる時間が年始からずっと続いている。
生きていることを当然のように日々を過ごすのはやめろよ、と
誰かに言われているような気がする。
わたしが全部自分で手にしてきたと思っていたものは、
何一つわたしのモノなんかじゃなかった。
フクちゃんが苦しんでいるのを見るだけで、
わたしの安らぎと幸せな時間は
いともカンタンになくなっていくんだ。

命は命を食べて生きている。
命を食べて生きる命は、別の命と関わり、
力を与え、安らぎを与え、その役目を果たす。
わたしの周りには、命を食べて生きる命しかいなくて、
その命に支えられながら生きている命がわたしで、
そのわたしもまた命を食べて生きている命で…
ものすごい連鎖の中にわたしはいるんだな、と思う。
他の命がなければ、一日たりとも生きてはいられないんだな。
食べ物という、かつて命であった命を食べ、
それを食べて生きる命に支えられて、
それを食べて生きる命に色んな感情を抱いて、
それを食べて生きる命と色んな時間を過ごすのだ。
なんて大きな輪の中に、わたしはいるのだろうか。

小康状態により、わたしの心にも少し余裕が生まれてきたようで、
ある仮定が浮かんできた。

もしもフクちゃんがいない人生を過ごしていたら、
わたしはどうなっていただろう。
フクちゃんがいてくれている今日までの13年間は、
わたしを確実に幸せにしてくれたし、
わたしの幸せな時間には必ずフクちゃんがいた。
でも、フクちゃんの命には必ず限りがあって、
いつかは胸を引き裂かれんばかりの別れが待っている。
最初っからフクちゃんがいなかった人生 = 0
と仮定すると、
フクちゃんと過ごした幸せな時間 − フクちゃんとの別れによる哀しみ = X
で、Xは今のところ未知数。
もしかすると−になって、めっちゃ経常損益かもしれない。
けれど、なんとなく、今思うことは、
最初っからフクちゃんがいない人生を過ごすわたしよりも、
フクちゃんとの別れを経験して、一時的に−を経常してしまっても、
「フクちゃんと過ごした幸せな時間」がある限り、
この先の人生中ずっと得してる気がする。
フクちゃんと過ごした幸せな時間は、
わたしの心の中にある大きな埋蔵金だ。
どこに埋めたのか分からないような埋蔵金ではなくて、
掘り起こしたければいつだって掘り起こせる、
素晴らしい宝になっていくんだな、と思う。
その宝の大きさは、今のわたしにはまだまだ到底分からないから、
未知数Xと名づけておこう。




| shortcut | 23:17 | comments(0) | - |
小康状態
今日のフクちゃんは、ほんの少しだけど食欲があった。
おおばさんとナナちゃんと一緒に
自分のお皿でご飯を食べている姿を見るだけで、
ものすごくうれしい。
食べた量はほんのちょっとだったけど、
ストーブの前で何も食べずにずっと寝ているだけだった3日前と比べたら、
天と地ほどにも違う。
落胆するわたしを気遣って、
ちょっと元気を出してくれたんだろうか?
このままだんだん食欲が戻っていって、
吐かなくなってくれたら、
また少しだけ寿命が延びるかもしれない、と
ちょっと期待をしてみるも、
病院に行ったら
「まだまだ予断は許されないよ。
 呼吸のペースが速いから…」
と、安易な楽観に釘をさされた。

それでも、フクちゃんが食べている姿を見ると
本当に嬉しくて、
わたしも今日は久々に二度の食事をした。
昨日までは一日一食たべるのがやっとで、
頭にも全く栄養が行かなくて、
一旦哀しみモードに入ると
なかなか抜け出せずにいた。
でも、少しずつでもちゃんと食べると、
頭にも栄養が行って、前向きなことを考えられるようになる。
土日月の3日間は、まるで地獄のようだった。
わたしの脳ミソが、哀しみモードにロックオンされてしまって、
目に映る景色、その時々の思考の全てが、
そのフィルターを通してしか伝わってこなくて、
まさに生き地獄だった。
哀しい時こそ、ちゃんと食べなければ。
じゃないと、哀しみスパイラルに巻き込まれて
自力で抜け出すことさえままならなくなる。

昨日、フクちゃんがわたしの部屋で眠り続けていた時、
その傍でおおばさんが付きっ切りで看病していてくれたことを
付記するのをすっかり忘れていた。
昨日のおおばさんはかいがいしく看護してくれていた。
フクちゃんの毛繕いをしてくれたり、
フクちゃんが寒くないように寄り添っていてくれたりした。
普段はまったくそんなことをしないのに。
おおぱさんも言葉をしゃべれないだけで、
異変は感じているのだ。
フクちゃんを撫で続けるわたしを、
気がつくと何も言わずにジーーッと見ていてくれる
優しいおおばさんだった。
おおばさんのそんな優しい看護も、
今日のフクちゃんのちょっぴりの食欲に繋がっているのかも。
ありがとう、おおばさん。

ナナちゃんはいつも通り、めちゃくちゃマイペースで、
そのマイペースっぷりはうちのおとんと同じである。
おとんは、
わたしとおかんがこんなに身も細る思いをしているというのに、
全く我関せずで、民謡のCDをパソコンで探しながら、
「これってどうやって買うんだ?」とか
「めんどくさいからやってくれ」とか、
おまえ、KY王国のキングだな、と思う。

彼は、家族に異変が起こっても
結構我関せずの人で、
彼以外の誰かの苦しみは、
彼の食欲を落とす要因にはなりえないようだ。
「こいつの命が惜しければ、さっさと金を出せ!」
みたいなシチュエーションでも、
「じゃ、その命、どうぞどうぞどうぞ」
と言い出しそうな勢いである。

夜も自分の寝る時間になったら眠り、
朝はスッキリと目覚め、
ご飯も三度三度しっかり食べ、
自分のやるべきことをただもくもくとやる。
おとんを見ていると、
フクちゃんが食べた食べないで一喜一憂している我々のほうが
トンチンカンなことをしているように思えてくるからフシギだ。
おとんの中にある、何ものにも決して揺るがされない何かが
わたしには少し羨ましく思える。
おとんみたいな人間が、家族の中にいてくれてよかった。
一応、おとんの名誉のために言っておくが、
彼はフクちゃんを全く心配していない訳ではなく、
「オレはオレ、フクはフク。
 オレはとりあえず健康。フク病気」という
きっちりした線引きの上で、
フクちゃんのことを心配しているということだ。
それは全くわかりにくい心配の仕方だが、
むしろ、そのほうが望ましいんだと思う。
わたしにはそんな線引きが出来る器が備わっていないもので、
フクちゃんの病気にまつわる自分の精神的グダグダも
何もかもがいっしょくたである。

思えばおとんは、昔からこの線引きがガッシリしていた。
何が起ころうと、自分のペースは絶対に崩さない。
ご飯が食べられなくなるくらい精神的に病むことなど
過去に一度もなかった(はずだ)。
目の前に、こんなにいいお手本がいた。
心配しながらも、自分をきちんと保っていられるという
よい見本だ。
出来ることならわたしもそうなりたいものだ。

フクちゃんの具合が悪いだけで、気が狂いそうになるなんて、
どんだけフクちゃんに依存して暮らしてんのよ?と思う。
おとんのように、何にも依存せずに暮らせたら
見える景色はもっと違うんだろうなぁ…。

しかし、依存することでしか知れない感情もまた存在する。
それはそれで、感じることが出来て良かったとも思う。
もしもこの感情がなければ、
この世界に存在するのは「自分」だけになってしまう。
まぁ、おとんの場合、そこまで極端ではないにしても、
家族の誰もがあたふたするようなこの事態において、
まったくもって屁のカッパでいられることが
わたしには超人的に思えるのだ。
強すぎるおとんだった。





| shortcut | 22:29 | comments(0) | - |
メシ、喉を通らず
フクちゃんは毎日どんどんやせ細っていく。
そんなフクちゃんから目を反らさずにいることは
かなり骨の折れることで、
とてもごはんが喉を通らずに、
ジーンズがちょっとユルユルになった。

昨日さんざん泣いたので、
今日はもうフクちゃんの前では泣いてない。
わたしを見ると、まだ必死で尻尾を立てて甘えようとしてくれるし、
小さくゴロゴロもいってくれる。
もうわかってるよ、フクちゃん。
もうそんなことしなくていいんだよ。
「だいじょうぶだよフクちゃん。
 わたしはだいじょうぶだから心配しなくていいからね。
 ゆっくり寝てていいんだよ」
と声をかける。
わたしが傍に行くと、
寝ているフクちゃんはむっくりと起き上がって、
わたしの膝に顔を摺り寄せてくる。
そういう動きの一つ一つが、
フクちゃんの体力を消耗している気がして、
もうわたしは傍に行かないほうがいいんじゃないかとさえ思う。
また、こんなに苦しい状態になっても、
わたしに摺り寄ってきてくれる想いが健気で、
涙が止まらなくなる。

でも。
この涙は、
フクちゃんがいなくなった後の
自分のことを心配する涙なのかもしれない、とも思う。
こんなに健気に気持ちを寄せてくれるフクちゃんがいなくなってしまったら、
わたしは一体どうなってしまうんだろう?
どうもこうもなく、生き続けるしかないんだけど。
100%素直に愛情を注ぎ注がれる家族がいなくなったら、
本当にわたしはどうなってしまうんだろう?
それを考えただけで、体中が震えてくる。

うちの生徒たちは、みんなフクちゃんのことが大好きで、
みんなフクちゃんが早く元気になるように
祈ってくれている。
フクちゃんも、あの小さな体で、
毎日やっと生きている。
だから、わたしが弱っている場合ではない、
というのも分かってる。

フクちゃんは、生まれてこの方
何一つ悪いことをしていないんだから、
どうか苦しめることだけはしないで欲しい、と、
本当に神様がいるのなら、心の底からお願いしたい。
この願いだけは聞き届けて欲しい。
もしフクちゃんを苦しめることが、
わたしへの罰なのだとしたら、
わたしに直に苦しみを背負わせて欲しい。
フクちゃんを眠るように逝かせてあげたい。
苦しむことなく、安らかに。


フクちゃんの具合が悪くなってから、
わたしの幸せを構成するものの一つが失われた。
一つでも失われると、途端に均衡は崩れていく。
その一つは、たった一つなのだけれど、
とてつもなく大きな一つだからだ。
フクちゃんがいなくなってしまったら、
わたしは、このバランスのまんま
歩いていかなければならないんだな。
フクちゃんの代わりになるものは
この世界のどこにもなくて、
フクちゃんの場所は、
わたしの中でずっと空いたまんまになるんだろう。
わたしはその時、その哀しみに耐えて、
また再び、歩きづらいバランスの中で、
何かを見つけていけるだろうか。
いや、見つけていくしかないんだな。
もしもわたしが打ちひしがれたままでいたら、
フクちゃんと過ごした時間そのものが
ウソになってしまう。
これほどまでに小さな生き物に愛情を注げたという事実が、
その後のわたしの生き方如何によってウソに変わる。
そんなことだけは絶対にしたくない。
フクちゃんが失われてしまうのだとしても、
フクちゃんと過ごした時間は、
わたしの中で決して失われることはない。
わたしの中に融けているフクちゃんの記憶は、
フクちゃんが失われてしまった後に、
わたしを立ち直れなくさせるためにあるんじゃない。
フクちゃんと過ごした幸せな時間をひっくるめて、
その後の人生を丸ごと生きていくために、
フクちゃんはこの13年間、
わたしの傍にずっといてくれているんだ。
今、本当にそう思う。

フクちゃんとの楽しい時間を、わたしはたくさん知っている。
だから、フクちゃんの苦しい時間も
わたしは知らなければならない。
苦しむ姿をしっかりと目に焼き付けておく。
自分以外のナニモノかが苦しんでいるのを
自分の苦しみ以上に感じられるこの時は、
これからのわたしの人生の磨ぎ方次第で
美しい模様となって現れてくるんだろう。





| shortcut | 23:06 | comments(0) | - |
一日一日
昨日、今日と、連続で動物病院にフクちゃんを連れて行き、
点滴を打ってもらう。

今日はもうぐったりしている。

金曜日の日、吐くのが止まらなかった時、
わたしの部屋に来て、
わたしの膝の上に乗ってきてくれた。
きっと最後の力を振り絞って
二階に上がってきてくれたんだろうと思う。

獣医さんに、この点滴で持ち直さなかったら、
今月いっぱい持つか持たないか…と宣告されてしまい、
今はもう泣き崩れるばかりだ。

今までフクちゃんと共に過ごした時間が
頭の中をものすごい勢いで駆け巡り、
泣きたくもないのに涙ばっかり出てきて困る。

病床にあるフクちゃんのために
わたしに出来ることなんか、
ただ撫でてあげることくらいしかなくて、
それがものすごく辛い。

いつかはお別れの時が来るとは思ってはいたけど、
まさかこんなに急にそんなことを言われるなんて
まったく考えてもいなかった。
去年の10月に、乳がんの宣告を受けた時も
「まだ腫瘍が小さいから、一年くらい先になるかな」
と言われていただけに、
もう少し時間は用意されていると思っていた。
あまりの急変ぶりに、心の整理が全く出来ないでいる。

頭の中には色んな想いがごちゃごちゃしていて、
獣医さんに言われたことを
受け止めなければ、と思う自分と、
認めたくない、と思う自分がいて、
両者まったく譲る気配もなく、
それぞれの陣地にどっかりと腰を下ろしている。

今までわたしは、去り行く命にしっかり向き合ったことがない。

七年前にジュンちゃんを失ったけれど、
あの時は、苦しんでいるジュンちゃんの姿を見ていられなくて、
看病は母親に任せっきりだった。
ジュンちゃんの余命を宣告された時も、
それを受け入れられなくて、
結局わたしがしたことは、
ただただ泣くことだけだった。
命に対してきちんと向き合って、
きちんと見送ることが出来なかった。
だからこそ、フクちゃんの命はきちんと見送りたい。
そう思うのに、
今までフクちゃんから貰った時間が大きすぎて、
何をどうやって返したらいいのか全くわからず、
またしてもただただ泣くばかりなのだ。

やがて来るであろうその日に後悔することがないように、
わたしはフクちゃんに毎日毎日
「ここにいてくれてありがとう」と伝えてきた。
でも、どんなに毎日伝えても
まだまだ伝えきれないくらいのありがとうが
胸の中にはたくさんあって、
それをどうやって処理すればいいのかわからずに
泣くことしか出来ない。
あれから七年も経つのに、
本当に自分勝手で、自分本位で、
あの頃から何一つ成長していない自分に呆れるしかない。

今のわたしがやっていることは、
フクちゃんがいなくなってしまった後の哀しみを、
ただ前倒しにしているだけだ。
フクちゃんはまだ生きているのに、
いなくなってしまった時のことを想像して泣いている。
それはもう、ジュンちゃんの時でイヤというほど味わっている。
それで散々後悔したはずじゃないか。

わたしには、命ときちんと対峙しようとする覚悟がないんだ。
いい時間だけを幸せと呼んで、
それ以外の時間を不幸と名づけてしまう弱さ。
こんな時に限って出てくる一番弱い自分が、
自分にダブルパンチを食らわしにくる。
弱りゆくものを直視出来ずに逃げてしまうという、
わたしの中に居座り続ける弱さ。
そこを乗り超えることが出来たら…。

で、一日中泣きまくっていたら、友から電話が。
買い物に出たついでに寄ってくれたようだ。
「今玄関の前にいるんだけど」
降りて行って、友の顔を見た瞬間、
なんかホッとして更に泣き崩れてしまった。
こんな風に自分の弱さを曝け出せる人がいるのは
本当に幸せなことだ。
「フクちゃんが…」
泣き崩れるわたしを見て驚く友に、
泣きながら事情を話すと
「フクちゃんを泣きながら撫でたりすると
 その気持ちが伝わって、尚更よくないから
 とにかく今は泣かずに。
 家に帰ったら、うちの仏壇にもおがんどくから」
と言ってくれた。
そのありがたさに、またしても涙する。
泣きながら撫でたら、フクちゃんだって辛いだろう。

だが、弱って寝ているフクちゃんの姿を見ると、
どうしても涙が出てしまうので、
涙を出し切って、自分の中である程度の覚悟が出来るまで
とりあえずひたすらに泣いてしまおうと
また部屋で号泣していたら、結局一時間も泣き続けてしまった。
その後、目が開かなくなるほど腫れ上がる。
そんな中でも、今日も仕事…。
あまりの精神的打撃に、いっそのこと
今日一日休ませてもらおうかとも思ったが、
今からそんなんじゃ、先が思いやられる…と思い、
心にムチ打って仕事に打ち込む。
仕事をしている時は、悲しいことを考えずにすむ。
結局精神衛生上すこぶるよかった。
さらに、そこで目の覚めるようなことがあったのだった。
生徒が
「理系をがんばろうと思うんです。
 介護の仕事がしたいと思ってたんですけど、
 この間ふと、看護の仕事ができる資格も取りたいなと思ったんです。
 そうなると、自分のニガテな理系をやらなきゃいけないですよね。
 でも、今回は逃げずにがんばりたいんです。
 これからもよろしくお願いします」
と言ってきた。
彼はとても心根の優しい子なのだが、
苦手なことから逃げ回る癖みたいなものがあって、
とにかく理系科目から逃げまくりな子だったのだが、
高校に入り、気持ちに少しずつ変化が出てきた。
自分の中の弱さを認め、そこから目を反らさずに進もうとする気持ちが
だんだん育ってきているなぁ、と、
普段の言動からも感じていた矢先の申し出だった。
逃げてばかりだった子が、今や自分から苦手なものに
挑戦しようという気構えを見せてくれている。
彼が見せてくれた姿勢に、わたしはものすごく勇気をもらった。
わたしも自分の弱さから逃げてる場合じゃない。
自分をちゃんと強く持って、
たとえ弱っていこうが何しようが、
最期のその時まで、
フクちゃんの傍で、その命をしっかりと看取る。
わたしに出来ることはそれだけなんだから。

もしもフクちゃんに出会えていなければ、
わたしはこれまでの人生の大半を
孤独に喘ぐことに費やしてしまっていただろう。
その餓えた心を癒してくれたフクちゃんに
わたしがしてあげられることはそれ以外にない。
精一杯の感謝をこめて、
フクちゃんが虹の橋を渡ってゆくその日まで。





| shortcut | 23:41 | comments(0) | - |
フクちゃん
フクちゃんの嘔吐が止まらず、
ついに血の混じった胃液まで吐いてしまった。

足がガクガク震える。

ジュンちゃんの時のことがフラッシュバックする。

途端にわたしの胃まで痛くなってきた。

明日、早速病院に連れて行くつもりでいるが、
乳癌の件もあるし、
遠からずそれなりの覚悟を決めなくてはならないのだろう。

だが、その覚悟が出来ずにいる。

もちろん、命あるものとはいつかは別れの時が来る。
それはもう充分に承知している。頭では。
だけど、誰がそれを体で充分に理解できよう?
誰もがその日を先に延ばしたいと思うし、
誰もがその日が来なければいいと願うだろう。
わたしは、フクちゃんのその日を
きちんと迎え入れることなんか出来ない。
逃げずに受け止めきることなんか出来ない。
考えただけで気が狂いそうになる。

フクちゃんは、
たしが東京からこっちに帰ってきてからの時間を
ずっと一緒に過ごしてきた。
わたしに一番元気がなかった時代の、
とある夏の日にヒョイッとやってきた猫だった。
それからもう長い付き合いだ。
どんな日も、必ず毎晩二階のわたしの部屋に上がってきてくれて、
膝の上に乗りながらゴロゴロ言っていた。
わたしも膝の上のフクちゃんの背中を摩りながらパソコンをするのが
日課となっていた。
でも、最近、その回数が急に減ってきたな、と思う。
二階に上がってくることが、
もはやしんどいのかもしれないな。
もう二階に上がってきてくれなくてもいいから、
もう少し、あともう少しだけ、生きていて欲しい。
出来ることならば、ずっとずっと生きていて欲しい。

フクちゃん、どうか元気になってください。。。





| shortcut | 23:15 | comments(0) | - |
日曜日からこのかた
日曜日の夕方、なにげなくフクちゃんのお腹を触ったら
ゴリッとしたしこりが…。

それからはもう、何も手につかず、
フクちゃんの体にあるしこりの正体は何なのか、
ネットで調べるにつれて
恐ろしさだけが増していった。

昨日はもろもろあって
動物病院に連れていくことが出来ず、
悶々と過ごした。

そして今日、ようやくフクちゃんを病院に連れて行った。

しこりに触れた先生は
「乳がんの疑いありだね」
と言った。

その瞬間、膝がガクガクした。

「でも、今はまだしこりが小さいから
 このまま大きくならずに行く子もいるし、
 大きくなったとしても
 あと2.3年の話だから、
 今すぐどうこうっていう話じゃないからね」
とも言われ、少しだけ安心。

「そうやってるうちに、ガンではなくて
 老衰で死んでしまうこともあるから」
と。

猫の場合、たとえ腫瘍を摘出したとしても
また同じようなものが次々に出来てしまうそうで、
腫瘍のいたちごっちになりかねない。
そうしてるうちに、寿命をどんどん縮めてしまうそうだ。
抗がん剤の治療にも、あの小さな体では
その副作用に耐え切れずに死んでしまうことがほとんどだ
ということだった。

もう、こうなったら腫瘍を出来るだけ小さいまま温存して、
フクちゃんと過ごす1日1日を大切にして生きていくのみだ。

なんか、フクちゃんには色々と心配かけてた気がする…。
たぶんごくごく最近まで心配してた気がする、フクちゃん…。
わたしはもう大丈夫だからね、フクちゃん。
ごめんね、フクちゃん…。

あと、甥っ子祭が続いて
神経が参ってしまったのかもしれない…。
でもね、わたしが甥っ子祭を開催できるのも
フクちゃんが健康でいてくれるからこそなんだよ。

フクちゃんの腫瘍が少しずつ小さくなっていきますように…。

これからネットで猫の腫瘍について調べまくります。


| shortcut | 13:09 | comments(0) | - |
ろっかいめ
じゅんちゃん。

早いもので、もう六年ですか。
ネコたちは相変わらずみんな元気だよ。
でも、じゅんちゃんがいないから
庭によそのネコが出入りして
うちのネコさんたちが大騒ぎだよ。

だけど、じゅんちゃんがいってしまってから、
また新しいワンコを飼おうという話には
いまだなっていません。

去年じゅんちゃんに手紙を書いてから、
これまでの間にうちに新しい家族が増えたんだよ。
甥っ子くんです。

今もどしゃ降りの雨の日には、
じゅんちゃんを思い出すよ。
最後にはトイレが出来なくて
苦しんでいたじゅんちゃんを抱っこしながら、
土手を散歩していた時、急に降り出したどしゃ降りの雨。

わたしは、じゅんちゃんの体温を腕に感じながら
切なくて悲しくて、泣きながら家に帰った。
でも、ちょっとありえないほどのどしゃ降りデーだったから、
涙は雨と一緒に混ざって流れていった。

あの日以来、泣きたいことがあったら
どしゃ降りの日がいいな、と思ってるよ。
こんな切なくもすばらしい思いは
この先そうそう経験できないだろうなぁ。
じゅんちゃん、ありがとう。

ではまた来年、じゅんちゃんに手紙を書くね。



| shortcut | 12:33 | comments(0) | - |
箱物ずき
昨夜、先月ご結婚なさった友が
ご夫婦揃っていらっしゃって、楽しいひとときを過ごしました。
友と
「何をやってもなかなか痩せない」だの
「絶対彼氏のもこみちはいい」だの
「生まれ変わったらお金持ちの家のネコになりたい」だの
他愛ない話をしている時間がほんとに楽しかったです。

彼女が結婚する時に、
わたくしら友人数名で差し上げたお祝いのお品のお返しを
わざわざ持ってきてくださり、
しかもそれが、わたしの今イチバン欲しいもののうちの一つだったので
ビックリしましたよ。

さっそくウキウキしながらいただいたものを組み立てていたら、
その箱の中にぬこ様たちが入れ替わり立ち代り入りなさる。

あまりにかわゆすだったので写真に撮って、
友にメールしました。

昨日から両親が旅行に行って不在のため、
わたくしとぬこさま三匹、仲良く夜を過ごしますた。

おかあさんたちがいない時には、
もれなく缶詰が食べられるので、
ぬこさまたちも満足げです。

今、ぬこさまたちは、缶詰をお腹いっぱい食べて、
三人で寄り固まってねんねしてをります。

今夜もぬこさまたちとの夜。
みんなで仲良く過ごしたいと思います。





| shortcut | 14:02 | comments(0) | - |
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